2010/12/31

Este ano

Hola!

最後の投稿からもう2ヶ月近くが過ぎようとしている。
しばらく大変だったの。更新する余裕もなかった。
もう誰も見てくれていないかもしれないけど、今日は大晦日。
私が今年の1月16日に生まれてからの”この1年”を振り返ってみる。

私がママのお腹から出て来た時、パパは余りにもすぐに生まれたことに驚いて感動の仕方も忘れちゃってるみたいだった。間抜けな顔をしていた。
いつも笑顔で私の面倒を見てくれるママに対して、パパはたくさんの顔を持ってた。
パパは家に帰って来るといつも「なぜこれからの日本にとって介護が重要か」についてママに熱く語っていた。多分その時担当していた仕事なんだと思うけど、ほとんどが聞いて来た話や家で読んでた本の受け売りだね、あれは。ママも瞼をこすりながら一生懸命聞いていたけど、めんどくさそーってベッドから見てた。

私は夜泣きがひどかった。ママはいつも嫌な顔一つせず私を何度も寝かしつけてくれた。その時隣の部屋ではパパが頭を抱えたりため息をつきながら机に向かっていた。背中から嫌々やってる感じが私にもわかった。たぶん、英語の勉強や大学院への出願をやっていたんだと思う。この人、勉強が本当に嫌いなんだなって寝ぼけ眼に思った。

その後、夏からバルセロナに引っ越すことが決まった。パパは日本人がパパだけのビジネススクールに行くことになった。出国前「俺は勉強が嫌いだから追い込まれないとやらない。だから頼る人間がいなくてかつ厳しい環境に身を置いた方が良いんだ」なんて自分の選択が完璧であったかのようにミルクを飲む私に語っていた。強がってるようにも見えた。

9月、ママ方のおばあちゃんのおかげで生活も落ち着き、パパの学校も始まる。パパが言った通り、”頼る人間がいない厳しい環境”にパパは置かれてしまった。信じられないかもしれないけど、パパは実はとても人見知り。彼の小さい頃の最も強い記憶は”友達のサッカーの輪に入れず自分だけ遠くからそれを見てる”もの。その性格を覆すために、パパ方のおじいちゃんが勧めたラグビーから始まり、一生懸命コミュニケーション能力を高めてきた。でも今、日本語が全く使えない環境で、パパはそのコミュニケーション能力の多くを失い、昔の小さい頃の自分に戻ってしまったようだった。

時が経つにつれて、朝学校に向かうパパの背中は小さくなっていった。まるで登校拒否をどう親に言い訳しようか考えている子供のようだった。さらに、パパが寝室に来ない日が続き、顔を見ない時間が増えた。1〜2時間単位の断続的な睡眠を日々繰り返し、自分の部屋から机から離れようとせず、久しぶりに見た顔は真っ青だった。私が生まれた頃、日々の出来事を家族に無理矢理聞かせるパパの姿はもうなかった。ママが一言つぶやいた。「うつ状態だと思う」って。

1学期を終えた日の夜、パパ方のおじいちゃんとおばあちゃんが日本から来た。私たち家族3人も一緒にスペインの各都市を案内してあげようというもの。でも、私にはパパの応援団が応援歌を歌いに来たようにしか見えなかった。旅行中、パパは、溜まっていたものが吐き出される、むしろ破裂するかのように、自分の想いや夢をご両親に話していた。私は、生まれた頃の我が家を久しぶりに思い出した。おじいちゃんが「英語の勉強ちゃんとせい!」って笑いながら英語の本を置いていった。そこにはある偉人の言葉が書かれていた。

"I walk slowly, but I never walk  backward. - Abraham Lincoln"
(私の歩みは遅いが、歩んだ道を引き返すことはない - エイブラハム・リンカーン)

 パパの中学校の卒業文集の夢の欄には「大統領」とある。日本にも大統領がいると思ってたのだ。これを見た時、バカだなぁとパパが嫌になったけど、今は何となく怒れない。

私はもう少しで歩けそうだ。私は引き返さずに来年の今頃はダッシュができるぐらいになるつもり。私の家族はどうだろうか。ママはこちらで始めたスペイン語も上達し、フラメンコも再開できるだろうか。そしてパパは遅くても引き返さず着実に歩みを続けられるだろうか。

今年は、我が家族にとって、私が生まれたことを皮切りに、生活環境が激変し、家族の状態も含めて多くの変化を経験する一年でした。そうした中で我が家族に言葉をかけ見守りそして励ましてくれた全ての皆様に感謝申し上げます。
そして、皆様にとって新しい年がまた素晴らしい一年になることをお祈り申し上げます。

って真面目になりつつも、私はパパの友人の藤本夫妻からもらったバスローブに包まれての風呂上がりなのでした。失礼失礼。他にもクリスマスプレゼントにたくさんのおもちゃをもらっちゃったから、私は来年も忙しそうだわー!



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